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高松高等裁判所 昭和28年(う)877号 判決 1954年2月09日

控訴人 被告人 伊藤清一

弁護人 松本梅太郎

検察官 畠中二郎

主文

本件控訴を棄却する。

理由

弁護人松本梅太郎の控訴趣意は別紙記載の通りである。

控訴趣意第一点について。

論旨は本件においては被告人が原判示の如くいわしまき網漁業を営んだこと(営業として)を認定するに足る証拠がないと謂うのである。しかし原判決が証拠として掲げる被告人の司法巡査に対する第一回供述調書に徴すれば、被告人は漁業を営んでいる者であること明瞭であり、本件の場合も自己の営業行為としていわし捕獲のため原判示の如く集魚灯を利用し集魚行為をなしたものであることは原判決挙示の証拠により十分これを認めることができ、原審が被告人は火光利用いわしまき網漁業を営んだものと認定したのは相当であると謂はなければならない。論旨の主張するところを考慮に容れても原判決に証拠によらないで事実を認定した違法又は事実の誤認は認められず、論旨は理由がない。

同第二点について。

論旨は本件の場合被告人は未だいわしを捕獲するに至つていないから被告人の行為は未遂であつて瀬戸内海漁業取締規則第七条第一項の違反罪を構成しないと謂うのである。仍て考察するに被告人は漁業を営む者であるが昭和二十八年六月十一日夜農林大臣の指定した海域外である原判示海上において農林大臣の指定する火光利用いわしまき網漁業を営むためその所有の第一及び第二万吉丸に夫々二個の集魚灯(電球一個につき一千燭光)をつけ午後九時半頃より電光で海面を照し始め集魚をしていたところ未だ網を入れていわしを捕獲するに至らない中に午後十時頃海上保安部巡視船に発見検挙されたものであること原判決挙示の証拠により明かであるけれども、瀬戸内海漁業取締規則第七条第一項にいはゆる「火光を利用する漁業を営む」とは漁業者が漁獲の目的で現実に火光を利用して集魚行為を開始するを以て足り必ずしも魚を捕獲することを要しないものと解するを相当とするから、前記の如く既に集魚灯をともして集魚行為を開始していた以上未だ網を入れて漁獲する段階に至つていなかつたとしても右条項にいう火光を利用する漁業を営んだ場合に該当するものと謂はなければならない。原判決が被告人の本件行為を前記取締規則第七条第一項違反に問擬したのは蓋し相当であつて、原判決に事実誤認又は法令適用の誤は存しない。従て論旨は採用し難い。

仍て本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条により主文の通り判決する。

(裁判長判事 坂本徹章 判事 塩田宇三郎 判事 浮田茂男)

弁護人松本梅太郎の控訴趣意

第一点原判決は事実を誤認して居る。原判決は其の理由に於て「起訴状記載の事実を引用」して居るが、其の起訴事実は被告人は「昭和二十八年六月十一日午後十時頃主務大臣の指定する海域外(中略)に於て集魚灯を利用し火光利用いわしまき網漁業を営んだものである」とあるが、右営むとは其の法文自体よりすれば一種の営業行為であり、営業行為でありとすれば継続して為す反覆行為或は一回にても之を継続の意が無ければ営む即ち営業とは云へない。然るに原判決引用証拠に依れば右事実を立証する証拠がない。即ち虚無の証拠に依つて事実を認定したか或は事実を誤認して居り其の結果判決の主文に影響するから破棄すべきものである。

第二点仮りに然らずとするも「漁業を営む」と言う観念は極めて茫漠として捕捉されないものである。立法自体より考えると集魚灯を利用して火光利用のいわしまき網を以て魚類を捕獲する事が犯罪構成要件の如くである。然らば、本件に於ては判示の日時に於ては集魚灯を用いては居つたが、いわしまき網漁船は遠く離れた港内に碇泊して居つて未だ漁場には出て居らない。従つて右犯行に着手はして居つたとしても実行、完了をして居らない未遂の段階であつて既遂ではない。(原審公判廷に於ける被告人の供述)殊に集魚灯を入れたからとて必ずしも其処へ網を入れるべきものでないので(被告人の原審での供述)集魚をした事それ自身はいわしを捕へたことにはならないのである。要するに右法条は、処定の方法と言う特段の行為に依り魚を捕る事が濫獲となるので、それを取締つて居るのであるから、いわしを捕らない間は犯罪の既遂とはならない。然るに原判決は本件行為に対し既遂を以て論じたのは法令の適用を誤つたか或は事実を誤認したものである。

以上何れの点よりするも破棄さるべきものと思料せられます。

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